05218-180806 「学び合い」は「教えあい」から
https://flic.kr/p/276qUpj https://farm2.staticflickr.com/1793/42068274600_ae17a32e36_k.jpg
「学び合い」という授業手法について初めて聞いたのは2005年頃のこと。「授業づくりネットワーク」の研究会でのことでした。その場でshioは大きな違和感を覚え、仲のいい先生にこっそり質問しました。「なぜ「学び合い」なのですか?授業は「教えあい」だと思います。」「うーん。。。」 give and takeはgiveが先。giveなくしてtakeはできません。例えばweb(インターネット)でさまざまな情報を検索して得られる(takeできる)できるのはなぜか。誰かがその情報をwebに公開(give)してくれたからに他なりません。誰かが情報をgiveしたからこそ、検索した人はその情報をtakeできる。giveが先です。 社会に対してどんな価値をどのようにgiveするか。その手法や価値観を会得するのが学校教育の目的でしょう。
https://flic.kr/p/28KRMhm https://farm1.staticflickr.com/941/43159512064_08702ecbca_k.jpg
shio.iconが考えるに、「学び合い」は結果です。
shio.iconの授業やゼミで学生たちが実際に行うのは「教えあい」。いかにして効果的な「教えあい」を実現するかに着目して実践するのがshio.iconの授業。結果として学び合うことになるけれども、あくまでも学生たちの意識は「学ぶ」ではなく「教える」にあり、その効果も「教えあい」によって測ります。 一般に「教育」の主語は教員や親。教員が教えて、教員が育てると考えられている。 shio.iconはその主語を学生と考える。学生が教えて、学生が育つ。それがshio.iconの考える「教育」。
だから授業の主軸は「教えあい」。
それが「主体的・対話的で深い学び」を実現する僕の授業の手法です。「学び」を得るのは結果。そのための手段は学生たち自身が「教える」こと。だから学生が「教える」時間と方法を多様に盛り込むのが授業の実践。学生たちが「教えて」学生たちが「育つ」のが「教育」。
「教えあい」とは「言語化」。2種類ある。口頭の言語化と文章による言語化。前者を「喋考(ちょうこう)」、後者を「書考(しょこう)」と呼んでいます。言語化には相手が要る。だから「教えあい」。授業内外で喋考/書考の相手を確保して複数の方法で喋考/書考するためにScrapboxが有効です。 https://flic.kr/p/276qUgo https://farm2.staticflickr.com/1812/42068274140_458a44eec7_k.jpg